市会議員「ひろみだより」

日本共産党生駒市議会議員 竹内ひろみ活動報告

2016/7月号


【京極浩子さんの写真アルバム】2

ひまわり真夏の花の代表格はひまわりだろう。
ここ南光町は関西では唯一のひまわり畑ではないだろうか。
何度か訪れたが、いつも元気をもらえる。
見渡す限り輝く黄色に乾杯である。


中央アフリカ南スーダンの首都ジュバで7月8日と10日、
大統領派と副大統領派の戦闘が再燃、
民間人を含め272人が死亡しました。
ジュバには自衛隊員約350人が派遣されています。

共産党3→6議席へ前進、1人区は自民21対野党11
改憲勢力は衆参で3分の2を占め、憲法守る国民的大闘争は必至!!

7月10日の参院選の結果、日本共産党は改選前の3議席から6議席へ前進しました。また、全国32ある1人区では、自民党が21勝、野党統一は11勝でした。自民党の21勝のうち、7県で野党共闘が得票率4割以上の大接戦でした。(3年前の参院選では自民党が29勝で民主が2勝、民主党がまだ人気があった6年前でも自民21勝、民主8勝)1人区での野党勝利は、今回が最高です。やはり野党共闘のすばらしい威力を示しました。これで共産党が支援して当選した議員数は、合計17人に達しました。
(3年前の参院選では8議席、下表参照)
過去5回の国政選挙の変遷


2010参院選 2012総選挙 2013参院選 2014総選挙 2016参院選
全国比例票 356万 369万 515万 606万 601万
奈良県比例票 46,224 42,219 61,541 68,025 58,840
生駒市比例票 3,699 3,661 5,552 5,995 5,517
当選者数 比例3 比例8 比例5、選挙区3 比例20、選挙区1 比例5、選挙区1、野党統一11
当選者氏名 市田忠義
田村智子
大門みきし
高橋千鶴
塩川鉄也
笠井 亮
志位和夫
佐々木憲昭
宮本岳志
穀田恵二
赤嶺政賢
小池 晃
山下よしき
紙 智子
井上哲士
仁比聡平
吉良佳子
辰巳孝太郎
倉林明子
(糸数慶子)
畠山和也
高橋千鶴
笠井 亮
宮本 徹
池内沙織
志位和夫
畑野君枝
齊藤和子
塩川鉄也
梅村早江子
藤野保史
本村伸子
島津幸広
大平喜信
穀田恵二
宮本岳志
清水忠史
堀内照文
赤嶺政賢
田村貴昭
真島省三
照屋寛徳、玉城デニー、仲里利信)
市田忠義
田村智子
大門みきし
岩淵 友
武田良介
山添 拓
たなぶまさよ(青森)
木戸口英司(岩手)
舟山やすえ(山形)
桜井 充(宮城)
増子輝彦(福島)
森ゆうこ(新潟)
宮沢ゆか(山梨)
杉尾ひでや(長野)
芝ひろかず(三重)
足立信也(大分)
イハ洋一(沖縄)
いっぽう、非改選を含む参議院議席数は、自民121、公明25、おお維12、こころ3で、以上の改憲勢力4党合計で161議席で、無所属の改憲派議員を加えると、参議院の全242議席の3分の2(162)を超えるとされています。
これに対する野党共闘側は、民進49、共産14、社民2、生活2です。

テレビ、新聞などの大手メデイアは、改憲派が3分の2を超えたことを大々的に報じています。選挙中は改憲問題を避けてきた安倍首相は、これ幸いとばかり「改憲自民党の公約だ。すでに改憲案を国民にお示ししている。これは結党以来の自民党の課題だ。自分の任期中に行いたい。」といい、意欲を示しています。

いずれにせよ、ここ数年の流れからすると時期を見ながらどこかで改憲を持ち出すことは必至で、野党共闘及び市民・国民連合との大闘争となることは避けられません。改憲派は、一度に(9条を含め)全部持ち出すと国論が割れるから、(緊急事態条項など)少しずつ出して、国民に慣れさせる「お試し改憲」から入る、一度出したら失敗は許されない(船田元自民党改憲推進本部長)、などと言っています。安倍首相はアベノミクスを前面に出して国民をごまかし、改憲体制を誘導しました。このニュースに掲載の「ヒトラーの教訓」(報道ステーション)は、参考になります。長いですが、ぜひお読みください。

安倍改憲の突破口は「緊急事態条項」の導入!!
この1年、最も優れた番組として、ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞したテレビ朝日報道ステーション「独ワイマール憲法の“教訓”」を画像で再現


優れた放送作品に贈られる「第53回ギャラクシー賞」(主催;放送批評懇談会)が去る6月2日発表され、テレビ部門の大賞に、テレビ朝日報道ステーション」の特集「独ワイマール憲法の“教訓”」(2016,3,18放送)が選ばれました。これは古館伊知郎キャスターがドイツを取材、ヒトラーがワイマール憲法の国家緊急権を悪用して独裁政権を構築した経緯を紹介、自民党改憲草案にある「緊急事態条項」に重なると告発し、時の政権を暴走させる危険性をはらむと指摘しました。こうした放送内容が「国論を2分する重要課題について、独自の視点と深い取材で問題の本質に迫り、分かりやすく伝えた」と評価され、ニュース番組としては初の大賞に選ばれました。放送を見逃したみなさんのために、紙面の都合上、若干のカットはあるが、できるだけ紙面に再現しました。

(放送は2016年3月18日) youtubeはこちら拝見しました。

古館「憲法改正というのが、徐々に視野に入ってまいりました。ならば、あの緊急事態条項から動いていくのではないかということに関して、もっともっと議論が必要なのではないか。その場合に、専門家の間ではドイツのあのワイマール憲法の国家緊急権、この教訓に学ぶべきだという声がかなり上がってきているのも事実であります。その国家緊急権を悪用するかたちで、結果ナチの台頭があった。もちろん日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません。しかしながらですね、将来、緊急事態条項を日本で悪用するような想定外の変な人が出て来た場合、どうなんだろうということも考えなければという結論に至りまして、私、一泊三日でワイマールに行ってまいりました。

ドイツ・ワイマール 
古館「朝方の雨が上がりました。そのせいか、だいぶ人通りが多くなってきたような気がします。そして、私が立っている後ろ、国民劇場です。

第一次世界大戦、今から100年近く前に、当時、世界でも最も民主的と言われたあのワイマール憲法が、この劇場でまさに制定されたんです。第一条は、もちろん国民主権。そして、男女平等、思想信条の自由、その基本的人権を尊重する。日本国憲法も大きく影響を受けたわけです。
 
これがいまの国民劇場の前の広場(写真左)。同じ場所ですが、トンと飛んでこれ(写真右)、1926年のこの広場です。ワイマール憲法制定から、わずか7年後のこの1926年。ナチスの第2回党大会が開かれている様子です。
 
アドルフ・ヒトラー、ナチ。国民社会主義ドイツ労働者党を率いて、独裁体制の元、第二次大戦を引き起こしてユダヤ人の大量虐殺という大惨事を生んだ。でもヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけではありません。合法的に、実現しているんです。実は、世界一民主的なはずのワイマール憲法の1つの条文が、独裁に繋がってしまった。そしてヒトラーは、遂にはワイマール憲法自体を停止させました。
 
ワイマールの街を代表するホテル(写真左)。ホテル・エレファントです。このホテルをとてもヒトラーは気に入ったと言います。最終的にこのホテルは、ナチが経営をしていたんです。二階には、かつてナチが会議室に使っていたという部屋があります。ここです。今は綺麗に改装されて、客室になっています。そして続きにバルコニーがあります。ヒトラーはこのバルコニーに出て、パレードを謁見していた(写真右)。

当時のドイツは、第一次世界大戦に負けて巨額の賠償を抱え込んだ。しかし、経済においては、一旦においては立て直すことができた。その後です。世界恐慌が起きてしまった。失業者が街に溢れた。さらには、失業していない人々の心の奥にも、失業への恐怖というのが渦巻いていた。そういう中でヒトラーは、経済対策と民族の団結を全面に打ち出していった。 そして表現がストレートだった。「強いドイツを取り戻す」「敵はユダヤ人」だと憎悪を煽った。 演説が得意だったというヒトラーは、 反感を買う言葉を、人受けする言葉に変えるのが上手かった。例えば、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」、といった具合です。

アドルフ・ヒトラー平和を愛すると共に、勇敢な国民になってほしい。この国を軟弱ではなく、強靭な国にしたいのだ。この道以外にない。」

古館「ヒトラーの腹心ヘルマン・ゲーリングも、後にその手法を語っている。」
ヘルマン・ゲーリング国民は指導者たちの意のままになる。それは簡単なことで、自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。平和主義者に対しては、愛国心が無く国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用する。
古館「ヒトラーの息遣いはどんどん、どんどん大きくなっていった。ただ、ドイツの憲法は、世界一民主的なあのワイマール憲法ですよ。独裁なんてものが許されるわけがないんです。じゃあヒトラーはどうしたんだと。

実は使ったのは、ワイマール憲法の第48条「国家緊急権」というやつなんです。これがポイントです。これは、国家が緊急事態に陥った場合に大統領が、公共の安全と秩序、これを回復するために、必要な措置をとることができる。大統領が何と一時的には、何でもできちゃうという条文だったわけです。この条文が、実はヒトラーに独裁の道を遂に開かせてしまった。
じゃあ何で、そもそもこの条文が入っていたのかと言いますと、憲法を当時作った人たちがですね、国民の普通選挙による議会制民主主義というものを、実はまだ完全には信用していなかったんですね。国民の、男女平等選挙による議会っちゅうのは初めてのことですから、言ってみれば、憲法を作ろうとしていた人たちが、まさにこのぎっしり詰まったソーセージのように、疑いをぎっしりと詰め込んでいたということなんです。
庶民は全く信用されていなかったということなんですね。でも、ヒトラー以前には、この条文は実は何回も使われていたんです。議会が紛糾して全く動かなくなる、さあどうしよう、法律を通さないといけないという時には、何回もこれは使われていた。しかしヒトラーは、完全にこれを悪用したということなんです。

古館「ヒトラーは、権力掌握のために国家緊急権をどう巧妙に使ったのかという点です。1933年です。
(1933年1月30日ヒトラー首相就任)
念願の首相に任命されたヒトラーは、議会で多数を取るために、すぐに議会を解散しました。
そして選挙に向けて、互いに利用し合う関係にあった当時のヒンデンブルク大統領を動かした。そう、共産党が全国ストを呼びかけていた。それを見るや、国家緊急権を発動させたんです。(1933年2月4日ヒトラー1回目の国家緊急権発動)
集会と言論の自由を制限、政府批判を行なう政党の集会やデモ、出版をことごとく禁止した。そしてそれからおよそ3週間経って、また立て続けに国家緊急権を発動します。

有名なベルリンの国会議事堂が放火されるという事件が起こった。一説では、ナチの自作自演だという話もありますが、ヒトラーこの放火事件を、共産党の国家転覆の陰謀として、またも国家緊急権を使ったわけです。(1933年2月28日ヒトラー2回目の国家緊急権発動)
今度は、あらゆる基本的人権を停止した。司法手続きなしで逮捕もできるようにしてしまった。野党は最早、自由な活動はできなくなりました。
当時、お父さんが野党のベルリン市議会議員だったローラ・ディエールさん、いま95歳です。

ローラ・ディエール「父(フリッツ・バーテルマンさん)は社会民主党の集会に参加しました。しかし、二度と戻って来なかった。ナチは家の中を荒らしまわり、めちゃくちゃにしました。当時は(メディアも含めて)思っていることを口に出すことは許されなかった。ナチはそこを最も重視していました。ナチ政権について思っていることなど、誰も口に出来ませんでした。」

古館「当時の共産党の党首(ドイツ共産党エルンスト・テールマン党首(当時))も突然逮捕され、後に殺害されました。そのお孫さんです。」

祖父が逮捕され処刑されたヴェラ・デーレ・テールマンさん(59歳)共産党の党首だった祖父が逮捕されたことで、母は学校でナチを支持していた女の子から殴られました。その後、母も祖母も逮捕されてしまいました。母は強制収容所に連行され、拷問や酷い暴力を受けました。民主的に選ばれた政権であっても、憲法の条文によって独裁者に変わる可能性があるんです。この歴史を二度と繰り返してはいけません。」

古館「当時のドイツの政情は、左翼勢力、右翼勢力の対立が激しくなって、各地で暴動や反乱が繰り返されていた。非常に不安定だった。そんな中で、ナチの国家緊急権行使を後押ししたのは、"保守陣営"と、そして"財界"でした。財界も、何もナチのことは好きじゃなかったけれども、何よりも共産勢力の盛り上がりを怖がっていた。憲法裁判所元判事のグリム判事の話しです。

ドイツ連邦憲法裁判所ディーター・グリム判事ヒトラー国家緊急権で自由を廃止し、野党の息の根を止めました。それが民主主義と議会の終焉につながったのです。この憲法でまさか独裁者が誕生するなど思いもしなかった。でも実際に独裁者は誕生した。それは想像を超える世界でした。」

古館「さあ、野党が自由を奪われた選挙ですから、ヒトラー率いるナチ党は議席を増やして、いよいよ仕上げにかかろうとします。恫喝と懐柔策を駆使して、反対派を従わせて、議会の三分の二までを押さえて成立させたのが、あの全権委任法です。国会の審議を経ずに政府が憲法の改正まで含めて全ての法律を制定できてしまう法律です。この瞬間、世界一民主的な憲法の元で、合法的に独裁が確立したんです。」

アドルフ・ヒトラー「私やナチを疑うのは、頭がおかしい者かホラ吹きくらいだ。我々はドイツのため断固として戦わなければならないのだ。」
ブーヘンヴァルト強制収容所(以下、写真は削除)
古館「ワイマールの市街地から15分程車で来た小高い丘の上なんです。ここはブーヘンヴァルト強制収容所です。ここには 25万人のユダヤの方が収容されました。 
腐乱した遺体が、あちこちに散らばっている。中庭には遺体が積み上げられている。生き残った人たちも、身体に肉がほとんどない。骨と皮だけの状態だったと。
この惨状を見た連合軍は、ワイマールの市民をここに連れてきてみせた。
その時の様子を撮影していた女性カメラマンが、後にこのように記しています。 「女性は気を失った。男たちは顔を背けた。あちこちから(市民の)『知らなかったんだ』という声があがったそうです。しかし、収容者たちは怒りをあらわに叫んだ。「いいやあなたたちは知っていた」

 ここまでは、80年前のドイツで起きてしまったことです。当然日本でこんな事が起きるなんてのは考えられません。でも、気になることがあるんです。

これは、自民党が発表している憲法改正草案 ですが、ここには緊急事態条項という条文が書き込まれていますね。今年7月の参院選で与党が圧勝して三分の二の数をとるとなると、日本でも憲法改正というものが、現実味をより帯びてまいります。その時、俎上に上がるとされているのが、今言った緊急事態条項なんです。「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と規定しているんですね。さあ、そこで最後に、ワイマール憲法研究の権威であるドイツのドライアー教授に、日本の緊急事態条項についてそれを見ていただきました。」

ワイマール憲法に詳しい イエナ大学 ミハエル・ドライアー教授「この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。このような権力の集中には通常の法律よりも多くのチェックが必要です。議会からの厳しいチェックができないと悪用の危険性を与えることになります。
何故一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか?首相が(立法や首長の指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出まで出来る。民主主義の基本は「法の支配」で「人の支配」ではありません。日本はあのような災害(東日本大震災)にも対処しており、なぜ今この緊急事態条項を入れる必要があるのでしょうか。」(以下、省略)


(投稿)楽しかった「おっさんの会」 (中北地区)
6月11日、15人もの男性が集まりました。名付けて『おっさんたちで飲んで、楽しくしゃべる会』久しく顔を合わせていない人たちが焼き鳥店に集合。僕が名前を知らない人も。まず乾杯のあと、短時間の自己紹介。そして「テーマは設けていませんので、あとはご自由にお話しください」で、お酒も入っているし、懐かしいこともあり、近くに座った人どうしでワイワイ。しゃべるのは女性の特権ではないことを実感しました。たくさんしゃべることで気持ちもよくなるし、つながりも広がり、参加者から「また、こんな会をやって(ほしい)」との声もあり、発起人としても楽しく嬉しかったです。とりたてて政治の話をしていませんが、そこは阿吽の呼吸。元気の充電になったでしょう。(南田原M)