市会議員「ひろみだより」

日本共産党生駒市議会議員 竹内ひろみ活動報告

2015/8・9月号

≪季節の一枚≫

戦争法案を先取り―自衛隊内部文書日米ガイドラインを実施、自衛隊が米軍の指揮下に


 8月11日の参院安保法制特別委員会で、日本共産党小池晃議員が自衛隊の内部文書を暴露しました。委員会は文書をめぐって紛糾し、そのまま散会。文書の確認や責任問題が焦点となりました。

 17日になって、防衛省はこの文書の存在を正式に認めました。文書は、戦争法案の成立を前提として、自衛隊の詳細な部隊運用計画を記載したもの。中谷防衛大臣が、国会の法案審議も始まっていない5月15日に作成を指示し、自衛隊統合幕僚監部がこれを受けて作成していたこと、さらに統合幕僚監部が5月26日、陸海空自衛隊の主要幹部ら約350人を集めたテレビ会議を開き、そのときの説明資料として作成・使用されていたことも判明しました。

 文書は「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について」と題する全49ページのもの。文書には、「ガイドラインについては・・・既存の現行法制で実施可能なものと、安保法制成立を待つ必要があるものがあり」などと、戦争法案が4月に合意された日米ガイドラインを実行するための法案であることを自ら記しています。

国会無視、秘密裏に軍事作戦 文書は「法案8月成立、来年2月施行」を前提に、南スーダンPK〇派遣部隊が、他国部隊の戦闘に参加する「駆けつけ警護」を来年3月から行うなど、詳細な日程表もあります。

 19日に開かれた参院安保法制特別委員会で、中谷防衛大臣は「私の指示で作成された。法案成立後に具体化すべき検討課題を予め整理し、主要部隊の指揮官等に理解してもらうため」と認めましたが、この文書に出てくる「同盟調整メカニズム」や「軍軍間調整所」の設置・運用は、安保法案にもない内容で、結局小池議員が追求したこの審議で明らかになったことは、
1 平時から自衛隊が米軍の指揮下に組み込まれる体制であること 

2「軍軍間調整所」即ち、米軍と自衛隊の制服組同士の調整機関が設置される予定であること 

3日米共同作戦計画が(国会では一度も説明されていなかったし、政府はその存在を認めていなかったが)すでに存在すること 

4 国連平和維持活動(PKO)における武器使用について、「自己の生命又は身体を守るために使用できる」と明記していること 

5「平時からの協力措置」として、東シナ海における共同ISR(情報収集、警戒監視及び偵察)のより一層の推進、及び「南シナ海に対する関与のあり方について検討」と明記していること、

などのことが明白になり、もはや自衛隊と米軍との共同行動は規定の事実となり、シビリアンコントロール文民統制)を無視した自衛隊制服組の独走が明らかになり、憲法より安保を優先して進められている実態が浮き彫りになっています。

(8/19 報道ステーションより)

 何よりもこの4月に日米間で合意したガイドライン(日米軍事協力の指針)が最優先され、戦争法案が自衛隊を米軍の作戦にさらに深く一体化させる仕組みであることが明らかになりました。まさに「海外でアメリカの戦争に参加する法律」「戦争を禁止している憲法9条に明白に違反する法律」であることがますますハッキリしました。

 8月12日、沖縄うるま市沖で米軍ヘリ事故があり、自衛隊員2名(事故で負傷)が同乗していました。米軍は特殊作戦の訓練中で、自衛隊員は防衛大臣直属の中央即応集団所属で、テロリストに対応する特殊作戦群の隊員でした。米軍の特殊作戦の訓練にいかに日常的に自衛隊が参加しているかの実態が、この事故で浮き彫りになりました。憲法違反の戦争法案、もはや廃案以外に道はありません。

 8月22日、戦争法案に反対する市民集会(奈良弁護士会主催)が奈良公園で行われ、奈良県史上最高の2500人が参加し、盛大なパレードも行われました。また、30日には国会包囲10万人、全国100万人が行動し、廃案を訴えます。16時から、JR奈良駅前、又は大阪扇町公園です。

8/22 奈良公園2500人参加


欺瞞に満ちた、首相の戦後70年談話
 安倍首相は8月14日、戦後70年にあたっての談話を発表しました。国内外から痛烈な批判が寄せられています。
本心は、過去の戦争は正義の戦争であって、他国を侵略し、アジアを植民地支配した、とは決して思っていない人
物が、歴史認識に関する国内的及び国際的な批判の中で、無理やり4つの言葉を談話の中に押し込んだので、まった
く空虚で出来の悪い作文となっています。

読者からのコメントを紹介します。

70年談話へひとこと
いつか来た道に戻してはいけない。村山元首相の痛烈な批判はもっともだと思う。ある市職員が「安保法案でなく、戦争法案というんですか?」と。 (宮内正厳)

世界の新聞が、その内容の空疎さを指摘しています。‟積極的平和主義�礫などという言葉で国民を欺くことは許せません。(辻本英子)
                  
不誠実極まりない内容だ。歴史を学び、責任を持ち続けるドイツの姿勢を見習うべきだ。(A. N)

4つのキーワードには、「私は」の主語がなく、間接表現で終始する総花的内容で、すべては安保法案を通すための意図が見え見えだ。
   (池田弘子)

                   






こんにちは いずみ信丈です               (その3)

信丈という名前は、祖父の『土地を離れても名前で絆
がつながりつづけるように』という想いから出来た、男
の子は「○○たけ」、女の子は「み○」という読みを付け
る習慣に沿い、信州で生まれたこと、そして丈夫に育つ
ようにという両親の願いで漢字がつけられました。
 今では想像がつかないかもしれませんが、子どものこ
ろは野球やサッカーなどのスポーツには一切興味を示さ
ず、遊びといったら友だちとおしゃべりをして過ごすこ
とでした。とにかく会話が好きで、授業中でも口が開い
たままで、小学校では毎日のように先生に怒られていた
のです。
 その後は、工作やパソコンに興味をもって、工業高校
へ進学。現代の生活を支える電気工学の学習を通し、古
来より人々の生活に密着してきた物作りを学んでみたい
と思うようになり、父の故郷である和歌山に近く、過去
に姉が暮らしていたこともあって、若干の土地勘もあっ
奈良県の和栽の専門学校へ進学しました。
 両親が共産党員で、父が村会議員をしていたことから
政治の話題に触れることは多かったと思いますが、強く
興味を持ち始めたのは、このころだと思います。
 伝統的なモノ作りや現場の実態を学ぶにつれ、政府に
従わせるための「愛国心」を唱えるわりに、受け継がれてき
た文化や日本を支えている人々を大切にしない政治に疑問
をもったことがきっかけでした。
 その後、社会に出て非正規雇用を体験することとなり、過酷
な労働環境などの辛い経験もありましたが、その経験あってこ
そ今の自分があるのだと思っています。
               2015年8月9日








日本共産党生駒市後援会ニュースNo.92  2015年8・9月号の付録)             (保存版)
全国で"名文"の評価高い、戦争法案に関する「声明書」奈良学園登美ケ丘中学高校の古川校長は、7月31日の一学期終業式の式辞の中で、下記の「声明書」のかなりの部分を引用して紹介し、生徒たちに平和の大切さを訴えました。この声明書は、英語、中国語、韓国語、ポーランド語、イタリア語、アラビア語などに翻訳されて、世界に発信されています。


    声明書   2015年7月13日
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも 災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。
精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。



自由と平和のための京大有志の会





         (こどもたちへのほんやく)

わたしの『やめて』


くにと くにの けんかを せんそうと いいます

せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません

せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます

わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない

うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない

げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい

がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない

じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ

だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ



じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい